死は勝利に吞み込まれた
- 出演者
- 黒木昭江
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2026.04.10
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] コリント人への手紙第一 15章16節
- 放送日
- 2026.04.10
「世の光」の時間です。今週は愛知県名古屋市の富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしています。
さて、キリスト教会の暦で、4月5日・日曜日は、イエス・キリストの復活を祝う復活祭でした。イースターとも呼ばれます。なぜキリスト教会は、イースターを祝うのでしょうか。
それは、イエス・キリストの復活が、私たちの死に対する勝利だからです。
聖書にこうあります、「もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう」。そして、キリストの復活は、イエス・キリストを信じて亡くなった者たちの最初の見本としてよみがえったのだと説明します。復活したイエス・キリストの身体は生前の姿とは違い、栄光と力に満ちた姿でした。私たちも同じように復活します。私たちの人生は死で終わりではないのです。
先日、私の友人が亡くなりました。彼女はクリスチャンで、重度の身体障害のある方でした。車いすに乗り、日常生活はつねに誰かの介助が必要でしたが、唯一動く口で、アクセサリーを作ることを生業とする、前向きな女性でした。彼女は時々、こんなことを言っていました。「私ね、天国に行ったら、やりたいことがいっぱいある。そのひとつが、テニス!」。彼女独特のユーモアでしたが、天国では私たちの心も身体も、キリストのように、栄光と力に満ちたものへ変えられます。その姿で、永遠に神を礼拝しながら生きるのです。
死は、人間にとって最後の敵です。けれども聖書は言います、「死は勝利に呑み込まれた」。キリストの復活が死への勝利となり、私たちはその勝利に与って、死を超える希望を持つことができます。
私はこれまで、何人かのクリスチャンの死に関わりました。そこには病の苦しみがあり、辛さがありました。けれどもどなたも、この苦しみが永遠ではなく、天国で健やかになる希望がある、心も体も健やかにされて、永遠に神様とともに生きる喜びがある、そんな期待の中で、旅立って行かれました。
キリストの復活は、ラジオをお聞きのあなたにも、同じ希望を与えてくださいます。ぜひ、明日も番組をお聞きください。
さて、キリスト教会の暦で、4月5日・日曜日は、イエス・キリストの復活を祝う復活祭でした。イースターとも呼ばれます。なぜキリスト教会は、イースターを祝うのでしょうか。
それは、イエス・キリストの復活が、私たちの死に対する勝利だからです。
聖書にこうあります、「もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう」。そして、キリストの復活は、イエス・キリストを信じて亡くなった者たちの最初の見本としてよみがえったのだと説明します。復活したイエス・キリストの身体は生前の姿とは違い、栄光と力に満ちた姿でした。私たちも同じように復活します。私たちの人生は死で終わりではないのです。
先日、私の友人が亡くなりました。彼女はクリスチャンで、重度の身体障害のある方でした。車いすに乗り、日常生活はつねに誰かの介助が必要でしたが、唯一動く口で、アクセサリーを作ることを生業とする、前向きな女性でした。彼女は時々、こんなことを言っていました。「私ね、天国に行ったら、やりたいことがいっぱいある。そのひとつが、テニス!」。彼女独特のユーモアでしたが、天国では私たちの心も身体も、キリストのように、栄光と力に満ちたものへ変えられます。その姿で、永遠に神を礼拝しながら生きるのです。
死は、人間にとって最後の敵です。けれども聖書は言います、「死は勝利に呑み込まれた」。キリストの復活が死への勝利となり、私たちはその勝利に与って、死を超える希望を持つことができます。
私はこれまで、何人かのクリスチャンの死に関わりました。そこには病の苦しみがあり、辛さがありました。けれどもどなたも、この苦しみが永遠ではなく、天国で健やかになる希望がある、心も体も健やかにされて、永遠に神様とともに生きる喜びがある、そんな期待の中で、旅立って行かれました。
キリストの復活は、ラジオをお聞きのあなたにも、同じ希望を与えてくださいます。ぜひ、明日も番組をお聞きください。


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